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小泉清子

清子の思ひで

昭和二十二年九月二十八日、大安の日、「鈴乃屋」は誕生した。

小泉清子開店の朝は待ち切れずに、六時に店を開いた。東の空は澄みわたり、私だけを祝福してくれるような気がした。たったひとりの女店員の初ちゃんは、まだ中学出たての十六歳、私の指示通りに小まめに掃除をし、道路に水を打ってくれる。ウィンドウには、昨夜陳列した染め見本が五本、色とりどりに素晴らしく美しくみえた。この五本の染め見本が、総資本であった。

終戦後一年半、随分といろんな体験をした。初めて商売というものにたずさわって、教えられることが多かった。大嫌いであった商売も、終戦という大混乱期には、好き、嫌いもなく、時の流れにそわざるを得ない。いや、自然に流れにそってきてしまったようだ。誰でもが必死な時に、むしろひとつの道をひたむきに走れたことは幸せであったと思う。

父を助けながら、父に叱られ、父に喜ばれ、一日を精一杯体当たりして、肌に経験がしみ込んでくる。この一年半は、平時の十年にも匹敵するような気がした。
そして三つの大きな教訓を得た。

一つは、店舗の好立地は、常に移動していること。
二つには、商品は、生き物である。季節をはずせば、誰も買う人はいない。したがって、在庫の適性度は商売の盛衰を左右すること。
三つは、店頭販売ほど有り難いものはない。直接の消費者に誠意で接すれば、必ずお客様は応えてくれるということ。

この三つは、素人の私の心に根強く烙印された。

茨城に疎開していた、母と姉と弟とが上京してきたのは、春の風から、初夏の風に変わる頃であった。急に小さな店が賑やかになり、母の手製の家庭料理がどんなご馳走にもまさって美味しかった。店の仕事におわれ、料理らしいものが作れなかった私たちは、久しぶりに家庭らしい雰囲気に浸ることができた。しかし、それもつかの間、末の弟が戻り、父母を戦災で亡くした従弟妹が一緒になった途端に、小さな家は満員になった。

「そうだ。少しも早く私と子供二人がこの店から出なくては、私は他家に嫁に行った人間なのだ!」
「私は自立しなくては!」
「二人の小さな子どもを育てるために!」
私は決心した。そして、何をやるべきか迷いに迷った揚句、そっと母に相談した。じっと考えていた母は、突然、
「呉服をやりなさい。あなたが好きだった着物、寅次さんがやっていた呉服、これが一番いい」
私は思いもかけなかった。呉服屋、あんなに主人に反対した呉服の商売、着物は好きでも、呉服商は絶対嫌いだった。“もみ手に白足袋”の悪印象が私の脳裏にこびりついて離れないのだった。
「呉服なら、美容家のほうがいいわ」
母の勧めを無視して、私は代々木にある美容学校に入学案内を貰いにいった。入学案内は手にしたものの、一向に弾まない気分を持て余した私は、プラットホームに降り立ったまま、見渡す限り一面の焼け野原の街を眺めた。一部復興したとはいえ、まだまだ家屋の形を成している住居は見当たらない。ちょうど夕陽が落ちかけていて、夕焼けした空は息をのむほどに美しく、あたり一面を茜色に染めていた。掘立て小屋から姿をあらわした女性のモンペ姿がいっそうあわれにみえた。

  • 第一話 昭和二十二年九月二十八日、大安の日、「鈴乃屋」は誕生した。
  • 第二話 紅絹に感ずる女の業
  • 第三話 震災のあとの七五三
  • 第四話 小学生の頃
  • 第五話 馬とび
  • 第六話 麦ご飯のお弁当
  • 第七話 母
  • 第八話 二足のわらじ
  • 第九話 女史になれ
  • 第十話 コンデェイションとコンディション
  • 第十一話 不合格

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