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小泉清子

清子の思ひで

第四話 小学生の頃

その時代でも、ほとんどきもの姿はなかった、何百人もの生徒の中で目立つお免状を頂く私のきもの姿に、壇上の来賓席にドカッとすわっている父も満足そうであった。父は天長節、地久節、明治節、春季、秋季の皇霊祭などの学校の式典には必ず列席した。小学校の六年間を通じて父の顔の見えないことはなかった。学校教育には実に熱心な父親だった。忘れられないのは、小学一年生の運動会で徒競走の選手に選ばれて学校に残り、夕方遅く帰ってきたときである。 帰るが早いか父は、真っ赤になって怒った。 「選手なんかやめろ。勉強がおろそかになる!」運動選手すらも、意識の上では悪と映ったらしい。小学校の六年間、私はスポーツに関しても、芸事についても、父の意に従わざるを得ず過ごしたのである。

母はきものを作り、父は洋服を注文して作らせた。周囲の誰よりもたくさん作ることがこのうえもない楽しみのようだった。お正月もお盆も、きものを着ることがお正月であり、お盆だったのだ。

浅黄色に朝顔の柄の涼し気な平絽の長着、淡ピンク地に、とんぼの模様の入った絽縮緬、絽縮緬は六月の、一ヶ月間しか着られないきものと、母に教えられる。平絽は盛夏で、七、八月だけ、九月は単物とはっきりしたきまりは、どの家庭でも自ずと守られていった。

普段着でセルのきものがある。素材はウールで、布地は男の洋服地と同じ位のうす手で、とても着心地がよい。赤、青、黄、緑、紫と様々な色糸で織られ、主に格子か縞である。これは五月の中旬、九月の中旬、わずか十日間位ずつ着る季節を味わう楽しいきものである。

六月から九月中旬までの浴衣は、長い間自由に着て楽しんだ。暑くても帯はきちんと締めていた。うちわに扇風機が、涼を取る手段だった。お盆にはあちこちから中元のうちわが届く。夏草、山水、唐子人形、子どもたちは、それぞれ好きな柄を選んで夜は蚊帳の中にあおぎながらすべり込んだ。庭の鈴虫の音をおぼろ気に聞きながら、いつしか寝入るのである。

二年生になると、「夏休みは海に行った方が体に良い」と父は逗子に別荘を作った。父は週に一回だけ来ては泊まり、あとは母に託した。逗子での生活は厳しい。朝は五時半に起こされ、海岸を一時間半散歩し、朝食後勉強、昼食後一時間して海水浴、三時半帰宅、入浴、食事手伝い、夕食後散策、九時就寝とまるで公立の林間学校さながらの規則を守らされた。五人の兄弟姉妹は、口ごたえひとつせずに母の指示に従った。庭でのピンポンは父にとって、スポーツの範疇に入らなかったらしい

しかし、週に一度だけ来る父と海で思う存分たわむれる楽しさ、自己流の泳ぎを教えられ、次に来たとき、「とてもうまくなった」とほめられる言葉が待ち遠しかった。

一晩泊まって、夕方東京へ帰って行く。駅のプラットホームで白麻の上下の背広にパナマの帽子をかぶった父のスマートな姿は、迎える時と見送る時との違いが、こうも明暗の差があるものだと思いながらも、別れのさびしさに引き込まれる気持ちは妙に辛く、その思い出は今でもまざまざと残っている。

あの頃の日本は?

社団法人東京放送局(現在のNHK)が、日本初のラジオ放送。 また、山手線の環状運転が開始されるなど、近代化が芽生え始めた時代でした。

  • 第一話 昭和二十二年九月二十八日、大安の日、「鈴乃屋」は誕生した。
  • 第二話 紅絹に感ずる女の業
  • 第三話 震災のあとの七五三
  • 第四話 小学生の頃
  • 第五話 馬とび
  • 第六話 麦ご飯のお弁当
  • 第七話 母
  • 第八話 二足のわらじ
  • 第九話 女史になれ
  • 第十話 コンデェイションとコンディション
  • 第十一話 不合格

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