清子の思ひで
昭和通りにふさわしい店舗をつくろうと、父は毎日大工の棟梁と打ち合わせをしていたが、会話のなかに、「総ヒノキ造り」という言葉がよく出てきた。やがて新築完成された店は、三階建て中庭付、奥は住居で、昭和通りではひときわ目立つ建築だった。ウィンドの大きい煉瓦造りの見事な出来ばえであった。
中庭には、池、噴水、築山、燈籠と、小さな滝までしつらえてあった。なかでも父の自慢は二階客間床柱である。紫檀、黒檀、たがや山、来る客、来る客に説明していた。また、水漕便所にお金をかけたことである。男女の別と水漕便所は、当時珍しかったらしい。「この便所で小さな家が一軒建つんだぞ」と子どもたちに聞かせた。
三方廊下に囲まれた庭の池には鯉をたくさん入れて、一尾、一尾名をつけ、元気が良いとか悪いとか、家族団欒の場であった。檜の廊下は、子どもたちが交代で磨いた。まず豆乳で拭き、次はおからで磨き、あとはから拭きする。朝夕二回、座敷、廊下は必ず掃除をするのである。食事は掃除のあと、と朝晩きまっている。
店舗と住居は全く遮断されて、店舗のミシンの音は全然奥に入らなかった。子どもの勉強に支障をきたしては、との配慮で、建築構造上苦労したらしい。
店舗の中央は、大きな父の帳場があって、蓋が半円形の上がり下がりするモダンなものであった。中におかれた鉛筆、メモ用紙、伝票類、ハサミ、消しゴムまで、いつもキチンと整理されて、少しも移動したことがない。誰かが使って位置が変わっていると大目玉が下った。全てに几帳面で、洋服ダンスの中は、全部自分で整理していた。他人のやったことは気にくわない。ただ和服だけは母に任せていた。財布の中にはいつも新札が入っている。
新築成って五、六年は順風満帆、商売も家庭もおだやかな帆にあやつられて流れていた。