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「江 姫たちの戦国」を辿って

第1回 姫たちの物語は琵琶湖から始まった

群雄割拠の戦国時代、運命を翻弄された姫は数多くいますが、江はその中でも際立っています。
母は戦国時代きっての絶世の美女・お市の方、伯父は織田信長、仮親は豊臣秀吉、夫は徳川2代将軍家忠、舅は徳川家康、息子は3代将軍家光、孫は明正天皇…。

怒涛の時代を生き抜き、徳川将軍家と天皇家に連なる華麗なる系譜を持ちながら、自らは決して歴史の表舞台に立たなかった江の生き方は、政治にも口出しをして存在感を高めていった姉・茶々(淀殿)とは対象的でした。

父は伯父信長に、母は仮親である秀吉に殺され、秀吉の政略の犠牲となって若くして不幸な結婚を繰り返し、我が子とも生き別れとなった江…。そんな試練を持ち前の聡明さと前へと進もうとする強い心で、江は見事に乗り切ったのでした。
お江を巡る華麗なる系譜
小谷城

小谷城址

北近江に勢力を誇った浅井氏の居城で、難攻不落と言われた中世五大山城の一つといわれた小谷城。当初、信長は妹お市を長政に嫁がせるなど、浅井氏と友好関係を結んでいました。

しかし、浅井氏の古くからの盟友だった朝倉氏を信長が討とうとしたことで、両者の関係は決裂。信長の軍勢が小谷城を包囲すると、長政は妻と三人の娘を城外に逃がしました。やがて小谷城は信長の総攻撃の果てに落城、長政は自刃しました。

この悲劇の年、戦乱の最中に江は小谷城で生まれています。まさに運命の子と呼ぶにふさわしい誕生です。
■小谷城 滋賀県長浜市小谷郡上町
実宰院

伝・淀殿寄贈とされる見久尼木像

小谷城落城後、お市の方と三姉妹が一時的に身を寄せたと伝わっているのが、長政の姉・昌安見久尼(しょうあんけんきゅうに)が中興した実宰院(じっさいいん)です。

寺伝によると、落城に際し長政が見久尼に三姉妹の養育を依頼したとか。見久尼は身長176㎝、体重105㎏という非常に大柄な女性で、その体を包む大きな法衣の下に三姉妹を隠して、追っ手から守ったといわれています。

のどかな田園の中にある小さなお寺ですが、淀殿が寄進したと伝わる見久尼の木像が安置され、豊臣家奉行連書状などの古文書が遺されており、豊臣家とこの寺との関わりの深さを物語っています。

なお、三姉妹の脱出ルートについては諸説あり、通説では信長の弟で北伊勢の上野城主織田信包に預けられ、後に信長の旧城である尾張の清州城へ移されたことになっています。
■実宰院 滋賀県長浜市平塚町149

戦国姫君ときもの

金襴(きんらん)

「♪金襴緞子の帯締めながら~」(蕗谷紅児作詞『花嫁人形』)と歌われている、「金襴」。金襴とは中国に起源を持つ織物で、緞子(どんす)地に箔糸や金糸を用いて模様を織り出した華麗なもの。

金襴は古代中国に生まれ、中国の禅僧の衣裳として日本に伝来。安土桃山時代には堺に技法が伝わり、16世紀の末頃に京都・西陣で織られるようになりました。文様が緻密で色数が多いほど高級と言われており、安土桃山時代の茶人たちは大変珍重したとか。そんな雅で豪華な金襴は、天下人となった秀吉の側室として絶頂を極めた淀君(茶々)にこそ、最もふさわしい衣裳だったと言えるでしょう。

威厳のある佇まいで金襴の内掛けを着た淀君と思われる女性の肖像画や、淀君所有と伝わる金襴の帯などに、往時の権勢が偲ばれます。 現在もその豪華さは織物の中でも郡を抜いており、帯や花嫁衣装、茶道具、仏具などに用いられる高級品です。

現代の婚礼衣裳、色打掛。イメージ画像です。

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