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おんな城主直虎 〜遠江路に面影を追って

第1回 直虎と龍潭寺

プロローグ 井伊家の始まり

浜名湖の最深部からさらに奥へ。現在の浜松市北区引佐町一帯に、井伊谷(いいのや)と呼ばれる山里があります。井伊直虎が誕生し、数奇な運命に導かれ、波乱の生涯を終えた地です。

小高い山と森、田園が広がるのどかなこの土地は、はるか奈良時代には開かれました。里山から清らかな水が浜名湖に注ぎこんでいることから、豊かな水に恵まれ、古来より「井の国」と呼ばれていました。この井の国を治めたのが井伊氏といわれています。初代共保公から遠江(奥浜名湖)で六百年、さらに彦根に移って四百年、千年にわたる歴史を誇る名家です。

井伊直虎は、この井伊家22代当主直盛の一人娘として誕生。策略と陰謀、混乱、野望が渦巻く戦国時代に、ひときわ困難な宿命を背負いながらもたくましく生き、井伊家断絶の危機から救った姫でした。

井伊家初代共保公出生の井戸

井伊家初代共保公出生の井戸(浜松市北区比佐町井伊谷1989)
龍潭寺山門前の道路を隔てた田んぼの中に、白壁に囲まれた「共保公出生の井戸」があります。伝説によると、1010年、共保公はこの井戸の傍らで生まれたとか。後年、この地の郷名にちなみ名を井伊共保と称するようになり、井桁に橘を家紋に定め、名門井伊氏の礎となったといいます。

井伊家菩提寺 龍潭寺

萬松山龍潭寺は、奈良時代に行基により開創された古刹。室町時代末期、20代直平の時代に禅宗となり、のちに遠州地方の臨済宗妙心寺派の法源となりました。井伊家とのゆかりは深く、共保公より40代に到る祖霊を祀る菩提寺として、歴代当主に深く帰依されてきました。

禅寺らしい素朴な山門に迎え入れられます。

龍潭寺

龍潭寺(浜松市北区比佐町井伊谷1989)
直虎が出家し、修行に励んだ龍潭寺本堂。当時、大叔父の南溪和尚が住職をつとめていました。
■拝観時間: 9:00~16:30(17:00 閉門)※拝観所要時間 40分~50分
■拝観料金(不課税): ●大人(高校生以上)500円/450円(団体) ●小人(小・中学生)200円/180円(団体)

禅寺らしい静寂さに包まれた、素朴なたたずまいの境内。

本堂内部や外観からも井伊の家紋を随所に見ることができる。

井伊家の駕籠

龍の彫刻(伝左甚五郎作)江戸時代中期 仏殿に使用された蛙股の彫り物

龍の彫刻

井伊家の駕籠

龍潭寺庭園

本堂裏にある小堀遠州作・龍潭寺庭園。
江戸時代初期に本堂北庭として築かれた池泉鑑賞式庭園で、中央に守護石、左右に仁王石、正面に礼拝石(坐禅石)が配され、更に池の型が心字池となっていています。
春のさつき、秋の満天星と四季折々の変化が美しい。昭和11年国指定名勝。

直虎の悲劇

井伊直虎(次郎法師)は、井伊家第22代当主・直盛の一人娘。許婚であった従弟の直親が家督を継ぐ予定でしたが、今川氏の謀略により直親の父は殺され、直親とも生き別れることになりました。
直虎は、大叔父である南溪和尚のもと、龍潭寺で出家し、次郎法師を名乗って修行に励みました。

しかし、運命はあまりにも直虎にとって非情でした。
11年後、他の女性と結婚した直親が井伊谷に戻ってきたのです。しかも、子供まで誕生したのです。女としての直虎の夢は潰えました。さらに追い打ちをかけるように、桶狭間の戦いで父・直盛が討死。その2年後には直親までが謀殺され、祖父直平も死去。とうとう井伊の名を継ぐ男子は、直親の遺児である虎松(のちの直政)ひとりとなりました。
「井伊の家を守る」
ただ一つの目的のために直虎はすべての想いを封印し、南溪和尚の計らいで虎松の後見人となり、女領主として井伊家を支えていく決心をしました。

己を捨てお家断絶の危機から救い井伊家発展の礎を築いた直虎は、直政の活躍を見届けた後、安心したかのように永眠しました。その墓所や位牌は龍潭寺にあります。

霊屋

井伊家代々の位牌が納められる霊屋。

井伊家墓所

井伊家墓所。直虎は生前結ばれることのなかった直親の隣に祀られている。

きものには家族の愛の歴史が映し出されています。
鈴乃屋は、きものを通じて家族という人生の節目節目を演じる舞台を陰から支えていきたいと願っております。

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