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「八重の桜」を訪ねる 新島八重のふるさと 会津

第3回 悲劇の白虎隊

数々の悲劇があった動乱の幕末期。ひときわ人々の涙を誘うのが、飯盛山における白虎隊の少年たちの自決です。

白虎隊とは、慶応4年(1868年)の鳥羽伏見の戦い後、軍制をフランス式に改革した会津藩に誕生した4部隊のうちの一つ。
いずれも武家の男子で年齢別に編成され、朱雀(18歳から35歳)、青龍(36歳から49歳)、玄武(50歳以上)、白虎(日新館で学んだ16歳から17歳)に分けられました。さらに白虎隊に年齢が満たない14歳15歳で構成する年少組や、50歳以上で玄武隊に加わっていない隠居組もありました。戦力の主力となるのは朱雀隊で、青龍隊は国境の警護、玄武隊や白虎隊、幼少隊はその予備に廻るという布陣でした。

ではなぜ、本来ならば実戦には参加しないはずの少年たちが、痛ましい死に至る結果になったのでしょうか。
白虎隊19士の墓(飯盛山)
白虎隊十九士の墓 (飯盛山)

慶応4年(1868年)8月23日、その日は朝から肌寒い雨が降り続いていた。
戸ノ口原の戦いで敗れた白虎隊は、城下の様子を見るために飯盛山に上った。
政府軍が放った火によって城下は炎と煙に包まれていた。

それを見て若松城が落城したと勘違いした少年らは自ら命を絶った。
飯盛山には自刃した白虎隊十九士の墓があり、今でもたくさんの墓参客が訪れる。
イタリアのベニート・ムッソリーニ首相寄贈記念碑

1928年、白虎隊の話に感銘を受けたイタリアのベニート・ムッソリーニ首相は、
古代ローマ時代のポンペイから発掘された宮殿の石柱を寄贈。 隊士の墓の傍らに記念碑として建立された。
白虎隊記念館
白虎隊記念館
google map会津若松市一箕町大字八幡字弁天下33

戊辰戦争における白虎隊や会津藩関連の資料を展示している。

会津さざえ堂
会津さざえ堂
google map 会津若松市一箕町八幡弁天下1404

飯盛山にある1796年に建立された高さ16.5メートル、六角三層の特異な形のお堂で、国の重要文化財。堂内の宇賀神堂には白虎隊十九士の霊像が安置されている。


安政6年(1859年)、第9代藩主容保は、北方警備のため徳川幕府から根室・紋別を譲渡され、3年後には京都守護職となり新撰組を配下に置いて尊攘派志士の取り締まりや京都の治安維持を担いました。しかし、慶応3年(1867年)の大政奉還後、新しい世の中を作ろうとする新政府軍と、幕府の世を守り通そうとした旧幕府軍の間で鳥羽伏見の戦いが勃発。会津藩は藩祖・保科正之が遺した家訓により将軍家への忠勤を第一とするため、時代の流れを察知しながらも、この戦いに旧幕府軍として参戦して敗北。戊辰戦争への不幸な幕開けとなりました。

戦いは、最初から会津藩の敗戦は火を見るよりも明らかでした。兵力においても、物量においても、新政府軍に圧倒的に劣っていたからです。それでも会津藩では若松城(鶴ヶ城)を死守するために、若松へと至る街道口に主力部隊を展開させて防備に努めましたが、いずれも失敗。 さらに進路の日橋川にかかる十六橋を破壊して新政府軍を止めようとしたが間に合いませんでした。会津軍は戸ノ口原で決戦するべく鶴ヶ城に援軍を依頼。藩主松平容保は、城中・城下の警護を担っていた白虎隊に出陣命令を下さざるを得なくなりました。

戸ノ口原の戦いは壮絶でした。会津藩は壊滅的な打撃を受け、わずかに生き延びた白虎隊士20名は滝沢街道から戸ノ口堰洞穴を通って、ようやくの思いで飯盛山に辿り着きました。 しかし、そこで待っていたのはさらなる絶望でした。城下を見下ろす場所に立ち鶴ヶ城の方角を見ると、懐かしいふるさとの風景は炎の海となったのです。

鶴ヶ城が落ちたのではないか、という憶測は少年たちを狼狽えさせました。加えて空腹と寒さが理性を失わせていたのでしょう。
「生き恥をさらすよりも自決することが武士の本分である」と、自刃の道を選んだのでした。
そのうち唯一人、蘇生した飯沼貞吉はそのことを生涯悔いて、晩年になってようやく白虎隊の最後の真実を語りました。飯沼の遺骨の一部は、同志とともに飯盛山に埋葬されています。

滝沢本陣
滝沢本陣
google map 会津若松市一箕町滝沢122

会津藩の本陣跡。戊辰戦争の際に大本営となり、白虎隊はここで会津藩主・松平容保の命をうけて戸ノ口原戦場へと出陣していった。また新選組の進駐の地ともなった。建物には今も当時の砲弾の跡や刀傷が残されている。
旧滝沢街道
旧滝沢街道


旧滝沢本陣から東に向かって滝沢峠、強清水、戸ノ口原古戦場を経て、猪苗代湖のほとりに出る道。
戸ノ口原の戦いで敗れた白虎隊士20名が通った。
戸ノ口堰洞穴
戸ノ口堰洞穴


猪苗代湖から会津地方へ水を引く為に掘られた堰で、白虎隊士の敗走ルートとなった。
写真中央に見える長さ150メートルの戸ノ口堰の洞穴を潜り、飯盛山を目指した。
白虎隊士の像
白虎隊士の像


白虎隊自刃の地には鶴ヶ城を望む白虎隊士の像がある。
炎に包まれた城下を見て、少年たちは城が陥落したと勘違いして絶望、自刃を選んだ。

その中には八重からゲベール銃の手ほどきを受けた隣家の伊東悌次郎もいたという。
実際には城は落城しておらず、その後、1カ月持ちこたえた。

会津ものしりメモ

会津絵ろうそく

会津絵ろうそく


江戸時代、江戸で消費される和ろうそくの3分の2は会津産だったとか。「江戸の灯りは会津から」との言葉も生まれました。かつて会津では漆の実から採る漆蝋(うるしろう)を用いていましたが、現在はハゼの実から採取した蝋を使用しています。武家や寺院で使われていたという菊や牡丹、椿、梅などの絵を描いた会津絵ろうそく。最近ではその艶やかさからインテリア雑貨として見直されています。

大河ドラマ衣裳考証 小泉清子

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