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第1回 飛龍誕生 ~土佐~

北は屏風のように連なる四国山地、南は茫洋とした太平洋が人々の交流を阻み、奈良時代から遠流の国としての歴史が続いた土佐。室町時代、この地を席巻した長曽我部元親が初めて四国統一を成し遂げ支配しましたが、間もなく関ヶ原の戦いで敗北。山内一豊が土佐の国主となり、以来、明治になるまで山内氏の時代が続きました。実は、この歴史こそが、土佐にたくさんの勤皇の志士を生み、明治維新への原動力になったといわれています。


コラム 土佐藩の特殊事情

土佐藩では山内氏の家臣を上士、長曽我部氏の旧臣を下士あるいは郷士と呼び、厳格な身分制度が布かれていました。土佐勤王党をはじめ維新に活躍した志士達の多くは、下士の出身でした。そのため幕藩体制へのうっぷんや上士に対するコンプレックスが根強く、その負のエネルギーが噴出し、討幕へと向かわせたといわれています。たとえば、龍馬と運命を共にした中岡慎太郎は大庄屋の長男でしたが身分は足軽よりも低い下級武士、実業家・龍馬の後継となり後に三菱財閥の基礎を築いた岩崎弥太郎は郷士より低い身分の地下浪人、人斬りと恐れられた勤王党の岡田以蔵も郷士でした。また龍馬の宿敵と言われ後に和解し大政奉還へと導いた後藤象二郎や、自由民権運動のリーダーとなり自由党を結成した板垣退助は共に家格の高い上士の出身です。


坂本龍馬の生家は、才谷屋という屋号を持つ高知城下屈指の豪商でした。同時に郷士とよばれる下級武士でした。この家に、長男とは21才も年の離れた末子として龍馬は誕生しました。少年時代の龍馬は洟たれで泣き虫、11才まで寝小便が治らなかったといわれ、12才で母を亡くしてからはますますひ弱になって行ったといわれています。
そんな龍馬を鍛え、逞しい青年へと変貌させたのは、3才年上の乙女の厳しい指導でした。近所の日根野道場に通う一方、剣術の得意な乙女に仕込まれてめきめきと上達。落ちこぼれ龍馬は、いつしか剣術家としての将来が嘱望されるまでになりました。そして19才の時、藩に江戸遊学の許可を得て、江戸・京橋桶町の千葉定吉道場に入門したのです。

龍馬がいた頃の生家付近を再現した模型。(龍馬の生まれた町資料館)

上町病院隣にある龍馬生誕地の石碑、目の前は路面電車が走ります。毎年11月15日に「龍馬生誕祭」を開催。誕生石碑の前にはベンチや案内板があります。
■高知県高知市上町1丁目7-34

広大な敷地を誇った才谷屋跡の一角(上町3丁目)、全国の龍馬ファンが集う喫茶店「さいたにや」。

坂本家の近くには、龍馬が通った日根野弁治道場がありました。築屋敷(つきやしき)と呼ばれる一帯は、風情ある石垣に往時の面影を漂わせています。またアメリカ帰りの漂流民ジョン・万次郎の見聞記「漂巽紀畧(ひょうそんきりゃく)」をまとめた河田小龍(かわだしょうりょう)の家などもあり、江戸でペリー来航を目の当たりにした龍馬は、土佐に帰国した折に訪ねています。龍馬は時勢を説く小龍によって海外への目を見開かされ、このときの発想が後の亀山社中、海援隊へと結実していきました。
■高知市上町2-13

「龍馬を育てた道」の道標と鏡川
生家周辺には、龍馬の少年時代の足跡がたくさんあります。自宅近くを流れる鏡川は、子供の頃の龍馬にとってかっこうの遊び場でした。「どうせ濡れるのだから」と雨の日も川で泳いでいたとか。川沿いにはたびたび洪水をおこす鏡川の防水のための石碑が建ち、近隣には龍馬が剣術に励んだ日根野道場跡、土佐勤王党の近藤長次郎や、龍馬に世界への目を見開かせた河田小龍の屋敷などもありました。龍馬が泳いだ鏡川の河川敷は市民の憩いの場として親しまれています。


コラム お仁王様と呼ばれた姉・乙女

龍馬を一人前の男にするために厳しく鍛え、その半面深い愛情で龍馬を見守り最も理解したといわれる乙女。身長174センチ、体重112キロという当時としては並はずれた大女で、剣術・馬術・弓術・水練(水泳)に秀で、さらに一弦琴や義太夫を嗜んだというスーパーウーマンでした。泳げない龍馬を見かねて姉・乙女は、自宅近くを流れる鏡川で龍馬の腰のふんどしに紐を結え、溺れそうになると竹竿で釣り上げ特訓したというエピソードも伝わっています。弟・龍馬が政治活動に奔走している間も支え続けことは、龍馬と交わしたたくさんの手紙からも伺えます。


三翆園ホテルを基の坂道に沿って旧山内家下屋敷長屋が残っています。ホテルはかつての山内家の敷地の一部で、幕末の四賢候の一人、山内容堂と西郷隆盛が時局の重大性を語り合ったのもこの一角でした。
■高知市鷹匠町

下屋敷長屋の向かいには、山内家を祀る山内神社があります。

坂本家墓所。龍馬の両親や兄権平、姉乙女らが眠っています。
■高知市山手町70

高知城。慶長6年(1601)に山内一豊が築城、その後、大火により城郭の大部分を焼失しましたが、再建。現在の城は250年前のもの。天守閣と追手門の両方が現存している城は珍しく、また追手門から天守閣が望める唯一の城です。

300年余の伝統がある土佐の日曜市。追手門に向かって1.3キロにわたって露店が並びます。写真奥には高知城の天守閣も見えます。

日曜市名物、地元っ子にも人気のアイスクリーンと田舎ずし。アイスクリーンはシャーベット状のさっぱりアイス。田舎ずしはミョウガやタケノコ、こんにゃくを柚子の香りいっぱいのすし飯にのせたもの。どちらも素材重視の素朴な味。

名勝桂浜・竜頭岬の丘の上から太平洋を睨む龍馬像。銅像は、慶応3年(1867)に長崎で日本初のプロカメラマン上野彦馬により撮影された写真をもとに、高知県内の青年たちの募金によって昭和3年に造られました。

桂浜名物の五色の石。

太平洋を一望する桂浜公園の丘陵に、海に突き出るように建つ龍馬記念館。龍馬の生涯や人物像を多数の資料を駆使して紹介しています。
■高知県高知市浦戸城山830

龍馬が生まれ育った町の歴史や文化をはじめ、英雄誕生の背景を紹介。ボランティアガイドによる解説もあります。また近隣には龍馬に関わりのある人々の足跡がたくさん。路地や街並みを散策しながら、龍馬に思いを馳せてみては?
■高知市上町2丁目6-33

カツオ漁に出掛けて遭難しアメリカの捕鯨船に救助され、日本人としては初めてアメリカ本土で正規な教育をうけたジョン・万次郎。測量・航海術・造船などを習得して帰国。後藤象二郎、岩崎弥太郎らを指導し、いち早く土佐に国際性をもたらしました。また海援隊の帆船購入を陰で支えました。

高知城にある板垣退助の銅像。上士の家に生まれた板垣は、山内容堂の側近として勤王党を取り調べた。後に討幕運動を主導。明治になると自由民権運動の急先鋒となり、自由党を結成。党首となりました。

武市瑞山(半平太)の生家。瑞山は龍馬と縁戚関係にありました。瑞山は土佐勤王党を結成し、一藩勤王を目指し、龍馬も加盟します。その後、龍馬は脱藩。公武合体を唱える吉田東洋を暗殺した勤王党は藩内で勢力を伸ばしましたが、やがて弾圧を受け、投獄後に切腹しました。
■高知市仁井田(非公開)


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