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第2回 悪童から三菱財閥創始者へ ~安芸~

高知市から車で約1時間。安芸は、のどかな田園風景の中にこじんまりした武家屋敷の街並みがひろがる、土佐の小京都です。才気と信念で貧乏のどん底から這い上がり、のちに“東洋の海上王”と称された岩崎弥太郎は、この町に生まれました。
天保5年(1834)に生まれた弥太郎は、龍馬より1才年長。龍馬の属する郷士よりもさらに家格の低い、極貧の地下浪人の出身でした。子供の頃は悪童でならし母を嘆かせたといいます。その一方、学問に打ち込み、持ち前の才気で道を切り開く逞しさもありました。しかし、弥太郎の努力は簡単に報われるものではありませんでした。自分の犯した不始末や数々の不運、また周囲への反発、人一倍強い野心は、時に周りとの不協和音という形で、弥太郎に何度もの挫折と復帰をもたらしました。
弥太郎の人生がようやく開けてきたのは、長崎の土佐商会に赴任してからのことです。ここで弥太郎は龍馬の薫陶を受けて、商人としての才覚をめきめきと発揮。いろは丸事件やイカラス号事件の解決に尽力し、長崎における土佐藩の第一人者としての地位を確保しました。
維新後、弥太郎は大阪土佐商会の払い下げを受け、それを元に三菱商会を設立。西南戦争の軍事輸送を一手に引き受けて巨万の富を築き、三菱財閥の基礎を固めました。

岩崎弥太郎の生家
弥太郎の生家は約30坪の茅葺平屋建て。地元のボランティアが美しく土用竹の生垣を刈り込み、保存・整備し、公開されています。(無料)
■安芸市井ノ口

日本列島を模して弥太郎が置いたといわれる庭石。

中央に囲炉裏を切った質素な室内。

岩崎家の家紋、三階菱の付いた土蔵の鬼瓦。

土佐漆喰の白壁に土佐和瓦のなまこ壁が映える土蔵に、三菱のマーク。岩崎家の家紋三階菱と土佐藩の山内家の家紋三つ柏の家紋を合体したと言われており、蔵は後年に創ったものと思われます。


コラム 大志を誓った故郷の神社

井ノ口の弥太郎生家の西側にそびえる妙見山。標高448mの山頂付近に、岩崎弥太郎ゆかりの星神社があります。14歳で十三代藩主山内豊熙(やまうちとよてる)に漢詩を披露し褒美をもらう程の秀才だった弥太郎は、安政元年(1854)、21歳の時に江戸へ遊学することになりました。当時、江戸随一と称された安積艮斉(あさかごんさい)への入門を控え、弥太郎の胸は大きな期待に膨らんでいたに違いありません。上京を前に星神社に参拝し、扉に「後日 英名ヲ天下ニ轟カサザレバ 再ビ帰リテ此ノ山ニ登ラジ」と決意を記したといいます。それだけに1年後、父が起こした問題で志半ばに帰郷を余儀なくされたときの失望は、想像するに難くありません。弥太郎の不遇はその後も何度も繰り返されましたが、不屈の精神で乗り越え、逞しく人生を切り開いていきました。


野良時計
安芸市のシンボル、野良時計。この地の大地主であった畠中源馬(はたけなかげんま)翁が、明治20年(1887)頃、自作で時計を製作し取りつけたもの。時計のなかった時代、野良仕事をする人々に時を知らせた時計は、いまだ現役です。(安芸市土居)

古い民家が軒を連ね風情ある佇まいの土居。武家屋敷のある土居郭中へもほんの数分。1時間もあれば主な見どころを廻ることができます。

安芸は焼き物の町。不要になった瓦を再利用した塀が美しい。

野良時計をデザインしたマンホールの蓋

土居郭中

土居郭中(どいかちゅう)と呼ばれる武家屋敷の街並み。生垣、黒塀、漆喰壁など簡素で美しい路地が、碁盤の目のように続く。武家屋敷は一部公開(無料)。簡素な暮らしがしのばれます。

安芸城址、書道美術館

中世、安芸氏の居城であった安芸城は、江戸時代に山内一豊の土佐入国とともに、家老の五藤家の館となりました。現在は苔むした石垣と堀割が残っているのみ。弥太郎もこのあたりを歩いたのでしょうか。

手島右卿(てしまゆうけい)ら名だたる書家を輩出している安芸。昭和57年に全国初の公立の書道専門美術館として、安芸市立書道美術館をオープンしました。近年の書道ブームで注目されているスポットです。
(安芸市土居 安芸城址内)

内原野公園

藩政時代の終わりに、五藤氏の遊園として造られました。3月下旬から5月にかけてツツジが見頃に。園内には小さな池や、殿様専用の休憩所だった「延寿亭」があります。

延寿亭から安芸市内を一望。遥かに見えるのは太平洋。

内原野焼

文政12年(1829年)頃、五藤氏が京都から陶工を招き、良質の粘土を利用した陶芸を地元の人々に伝習していったといわれている内原野焼。現在でも4軒の窯元が素朴な味わいの焼ものを作っています。

農作業と陶器づくりを兼業しているのだろうか。畑の脇にあった登り窯。

安芸は柚子の産地。晩秋、果樹園は柚子がたわわに実り、香気を放っています。

さすが南国。畑の脇に芭蕉の木。

岩崎弥太郎像

安芸駅から徒歩3分ほど。市役所手前の江の川公園内にある弥太郎の銅像。岩崎弥太郎の没後150年に記念して建立されました。

お龍とお君の像

龍馬の死後、海援隊士・千野寅之助に嫁いだ妹・君江の住む芸西村和食に、お龍は1年ほど身を寄せました。お龍と君江の銅像が建つのは、名勝琴が浜。桂浜の龍馬像に向かって、お龍が手を振っています。
■安芸郡芸西村琴が浜

高知市内から安芸方面へは、くろしお鉄道ごめん・なはり線の旅が楽しい。すべての駅で地元出身の漫画家やなせたかし氏が制作したキャラクターが出迎えてくれます。また電車のボディーにはほのぼのとしたキャラクターが勢ぞろい。

「千曲川旅情のうた」「雀の学校」「春よ来い」などの名曲で知られる安芸市出身の作曲家弘田龍太郎。安芸市内の観光スポットにはユニークなデザインの曲碑が建ち、碑の前に建つとメロディーが流れます。また童謡の里にふさわしい可愛いマンホールの蓋が散策する人の心を和ませます。

中岡慎太郎生家と銅像

坂本龍馬の盟友中岡慎太郎は、安芸市よりさらに東に向かった安芸郡北川村の郷士で、大庄屋という家に生まれました。緻密で真面目と言われた中岡は、勤王党に加盟後、脱藩。龍馬と行動を共にして、薩長同盟のために奔走しました。さらに討幕のために薩土同盟を締結。討幕遂行のために龍馬は海援隊、中岡は陸援隊を組織しましたが、慶応3年(1867)京都・近江屋で龍馬と共に凶刃に倒れました。29才という若さでした。


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