清子の思ひで
父母には何も話さなかった。そして夜中までソロバンの練習に打ちこんだ。翌日はいくらかスムースにいったが、まだまだである。食堂にも昨日と同じに、一番最後に入った。やはりおはちの隅のご飯粒を拾って食べた。三日目がきた。だんだん職場内の雰囲気がわかり出した。百名ほどの女性の中に、課長、係長、主任クラスが男性である。
女子社員は仕事にかけた真剣さがあり、生活がかかっている、ということが、はっきりわかってきた。だから新米の私に親切に教える時間が惜しいのであろう。仕事、仕事、人間関係なんてとんでもない。今日の日立の発展の基礎がこのすさまじい意欲から生まれただろうことは想像に難くない。同僚の言葉づかい、上司に対する礼儀、横の連絡等々、三日の間にいろいろ吸収できた。
職場とは何か、いくらかわかりかかった緊張の三日が過ぎて家に帰ると、内務省から速達が来ていて、三日後に入省するよう通知があった。折角なれてきた日立なのだ。ここで人生勉強しようと覚悟をきめたところなのに・・・。断ろうと父に相談した。父は即座に、「お前が勤め出したことで、俺は世間体が悪くて困っている。いつやめさせようかと思っていたところだ。そんなに勤めたいのなら、まだ内務省ならお国のためにもなる。仕方がないが許してやる。その代わり、とった給料は自分の好きなことに使え。それならよい・・・・・。」子を思い、親を思う双方の気持ちは話し合わなくても理解しあっている。日立には申し訳ないが、残念ながら退社するより仕方なかった。