清子の思ひで
夏になると必ず逗子の別荘へ、毎年毎年出かけていたのに、六月に入って、そろそろ扇風機のほしい汗ばんだ夕飯どきに、突然父が、「もう逗子も飽きたから、ことしから房総の勝山に行こう。変わったところがいいかもしれないよ」と言い出した。かたわらで母は、「お魚もおいしいしね」と言葉を添えた。弟たちは、「勝山ってどこ?波は荒くないの」などと単純に同調したが、私は何か心にひっかかった。あれほど父が好きだった逗子の海からなぜ房総に切りかえるのか。やはり不景気のせいだろうか。
あとで母から聞かされた。逗子の別荘は売り払ったこと、こんどの勝山は貸別荘であること、それも、かなり無理しているのだと。
海水浴場は、飯岡、館山など、毎年変った。変ること自体、大人が考えるほど、深刻に受けとめてはいないが、背丈はぐんぐん伸びて、純毛の水着が縮まって着られなくなってきたのには困った。どうしても新しいのを買ってと言い出せない。
着られなくなった水着をみて、父もさすがに困った顔をしたが、すぐに「よし、あいだに布をはごう」と言うや、水着の胴を真二つに切り、同色の木綿の布をはいで、ミシンに向かって縫い足した。どうみても、あまりかっこうのいいものではない。海に入ると木綿の部分だけがすぐに濡れて、ベタリと肌にはりつく。二色の変った水着、いまならさしずめ、ニューファッションだろうが、どこからみても貧乏くさい。妹は「何だかおかしいわね」とそっとささやいたが、私は「ちっともおかしくないわよ。上下純毛なんだから上等よ。木綿ばかりの人だっているじゃない?」と姉ぶって言う。父の心を思うと、気恥しいなどといっていられなかった。
東京市況、いや日本全体は深刻な不況にのめり込んでいくばかりだった。繊維だけでは、将来の見通しは暗い、とみきわめたのか、父は全く別の世界へと転回することになった。暮れも間近かに迫った十二月の初旬、大森に料亭を開いたのである。父の兄が多少その筋の経験があったので、伯父が支配人格で加わった。
二階の大広間は、結婚の披露宴ができるほどのかなりの規模といってもいい。一階の調理場から真新しい桧の香と、酒の芳香がただよう。いままで味わったことのないムードに酔いそうな気分になった。素人の父はまごまごして片付けばかりしている。幾らか経験のある伯父が一切を仕切り、その筋の玄人でやり手の中年女性がテキパキと女中たちを指揮していた。暮れも近いせいか、客はかなり入っていたようだ。姉は女学校を出たばかりで、父の命によって帳場の会計をときどき手伝わされていた。